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2005年8月15日 月曜日

ITによる文化の「外部化」について

 CNET Japanのコラムに興味深い文章があったので、引用しておきます。

 これまで私たちは散文や詩歌などをはじめ、高度な抽象性を持った記号としての言語を巧みに操り、複雑な情緒表現を、一種「行間」すら用いながら実現してきた。だが今、文化を実践する手間を省くために、ヒトとして作り上げてきた文化を算盤から電卓、コンピュータへと急速に進展するテクノロジーに預けてしまっている。そしてその「外部化」によって、結果的に自らの内部から文化を追い出してしまう傾向には、どんどん拍車がかかってきている。
--
「スローライフを志向するiPodの強み」;
森祐治・情報経済を読み解く ;
2005年8月13日(土) - CNET Japan
 より引用

 今時は、業務や文化(映画・音楽・文学)の創造にはコンピュータが欠かせず、環境の規格化により手法の差異がなくなり均一化が進んでいます。作業の定型化/手法の確立の後は自動化して効率アップを図るのは当然ですが、そのような環境の中に慣れてしまうと既存の方法論から外れた考えをできなくなってしまい、人間が仕組みに束縛されるようになってしまいますし、オリジナリティーが無くなります。ITを過信しすぎると文化の空洞化が進みそうで怖いですね。

 今後5年後〜10年後には、人間がどうゆうスタンスで情報技術と向き合い共生するかというのは、重要な問題になって行くのではないでしょうか。

 …で、この「外部化」の問題って、映画「INNOCENCE」で押井守が背景に置いていたテーマなのではないかと感じました。この人やっぱり進んでます。
GHOST IN THE SHELL 2 INNOCENCE INTERNATIONAL VER.

2005年8月15日 00:48 | Permalink | コメント(5) | トラックバック(0) | Ratings

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5 件
kou :

ITによる文化の「外部化」や 文化の「空洞化」。

なかなか興味深いですね。

シンデレラマンという映画のプレス試写会で、ある人が「久しぶりに人間の出てくる良い映画に出会いました」というのがあった。ハリウッドが CG を多様している映画や「マダガスカル」「Mr インクレディブル」、その他超人ヒーロー映画などと対比してるのだと思う。仮想な登場人物を通して、色々なメッセージを発信・表現する良い映画ではあるが、生の人間の演出だとつまらないのかなぁ。。。なんか設定がなんでもありありでね。ITかどうか分からないが、似たような映画は飽きられるかも、ということが言いたいだけなのだけどもね。


さて、「外部化」の悪影響?「空洞化」(悪いイメージ)を語るにあたって文化ってなんだろうと今一度考えることとなる。文化は、人があってなんぼのものだからね。大衆が喜ぶ対象が「空洞化」なものとして、それが発展し続けれるかも疑問。当然、流行すたりがあるから、淘汰されていくはず。オリジナリティがなければ、飽きられるでしょうね。

また、「外部化」、「空洞化」によって、大衆(文化を享受する大多数)の文化レベルが下がるのか?一旦を見れば、ケータイの登場で「サル化」するヒトも、その代表なのか???  これは、なんとも言えないね。これだけ、あらゆる情報が行き渡る世の中なのだから、同じようなものに飛びつき・真似る人がでてきても不思議ではない。渋谷のサル(これは着ぐるみを着たコギャル)は、東北、町田に2,3ヶ月経ってから、地方に広がったでしょ。でも、さすがに今は、サルは街を歩いていません。

しかしながら、ITを依存した環境は今後益々、発展していくだろうし、わたし自身、もっと発展していくべきだと思う。

媒体が高度なハイテク電子機器だろうが、ユビキタスであろうが、それにより文化と言われているところに問題が起きるのだろうか?グーテンベルグの活版印刷により聖書が世界的に普及したように、インターネットも今の時代に爆発的な情報の普及を担っている。当然のごとく、情報を選択できる能力が必要ではある。それは、今までのTV時代と同じ。

昨日、Microsoft の TV コマーシャルで、小さい女の子が、「コンピュータで本を書いています」っていうのがあった。

「お兄ちゃんは、小学校から字を書けるようになったけど、わたしは、幼稚園のころから書けました。本には、絵や読みかな など いっぱり入れてあります。だってお兄ちゃんが読めないと可哀相でしょ。」

最近のCMにはなかった、なかなか、面白いコマーシャルでした。ITの可能性を感じましたね。

2005年8月15日 11:27
tasa Author Profile Page:

kouさん。いつもコメントありがとうございます。

引用した記事の主題は「サル化」についてだったようですが、ITによる文化の「外部化」が良いとか悪いとかには関心がなく、引用部分の一文が含む意味にひかれました。ITは消費者にとって明るい未来をもたらすと思いますし、僕も楽しみに思っています。時代の変化で単に道具が変わっていくのは当然ですし、道具に振り回される人もいれば、うまく利用する人もいますから。

ここで僕が気になっていたのは、企業や創作の現場などのバックグラウンドでのITの利用です。本来は、人間が考え伝承してきた現実文化の写像としてITを利用した効率化の仕組みがある訳ですが、ワークフローの写像を作ってしまった事で人間側の伝承がおろそかになり、結果として写像が実体となってしまうことが怖いです。本来の目的が不明になったり、既存の仕組みの中でないと物事が実現できなくなったり、ひどければ枠組みの変更が困難になったりして、問題が生じる(既に生じている)のではないでしょうか。ユーザーの手に届くモノや作品は市場の要求に応えて外観を変えますが、動きの重さでしわ寄せが来るのは内側であって、あまり重いと外へも影響が出始める。そのうち、体制がそれをカバーするようになるのでしょうが、企業あるいは制作者に急激なIT浸透の影響が出る過渡期が今かと思っています。完全にITの中で完結するものならば関係ありませんが、あくまでも現実が実像でITは写像という想いがあり、こちらの記事を書きました。

心配し過ぎでしょうか。(^^;

2005年8月15日 22:14
bitte :

tasaさん。ご無沙汰しております。着うたに関する記事の時は長々と付き合ってくれてありがとうございます。

さて今回のこの記事、私も既に読んでいて同じような印象を受けました。しかしtasaさんの記事を読んだあと、私が感じている危機感は杞憂に過ぎないのではないかと思い始めました。

理由は以下の三つの仮説です。

①「サル化する人はITが無くとも何かしらのモノでサル化する」
②「このような危機を感じる人は常に一定の割合で存在する」
③「新技術に移行する過渡期には常にこのような問題が騒がれる」

①は私の妻を見てそう思いました。彼女がPCを触り始めて久しいですが、最近の没頭振りは今までとは比較にならないほどです。幸い今は実のあることに取り組んでいるようですが、ついこの間まではあふれるネット上の情報に振り回され、泳がされ、そしておぼれていました。数年前までは日本語が流れる衛星放送に没頭していて、時間を無駄に過ごしていました。気を許すといつも何かに流される傾向にあります。このような人は結局モノが何であろうと、自分の中から文化を吐き出すような行動に傾倒しやすいと思います。

②はtasaさんの記事を読んで感じたことです。CNETの記事を読んで、tasaさんが記事にしたそのまま私も感じました。つまり同じような危機感を持つ人がCNETの森さんを含めて少なくとも三人いるわけです。CNETの読者を含めるとさらに相当いると思いますが、その記事を読まなくとも同じ危機感を既に感じていた人もいるはず。 考えてみると、新時代を創るような人は自分の思想を明確にもち、安易に大事なものを失うことをしません。そのような人たちが文化を牽引している一方で、その流れに追従する人たちが過半数を占めているのが今までの歴史の流れです。このITの流れも同様で、ITに行き詰まっても新しい流れが生まれるはずで、それを創出することに貢献する人は一定の比率で存在すると思いました。

③は過去を振り返って感じたことです。ネット社会になる前はテレビ社会でテレビの見すぎは体によくないなどいろいろ騒がれていました。学校や会社に行くと「ねぇねぇ昨日のxxxx見た?」という言葉が挨拶代わりになっていました。私はテレビは性に合わないらしくアニメブームの時もさほどテレビを見ていなかったので、友達の話を理解できないことでつらいこともありましたが、ある意味テレビに振り回されている友人を冷めた目で見ていました。子供の私がこれだけ感じたのですから、テレビになじみの少ない大人、特に老人などは相当強い思いでテレビ化を嘆いていたことだろうと思います。同様にラジオ化や書籍化の流れでも何かしら問題視されていたかもしれません。

つまり、時代の過渡期には、大多数を占めるサル化候補者が作る流れがとても顕著に見えてしまい、それが社会の崩壊を予感させるほど大きな濁流であっても、濁流に飲まれないように知恵を働かせて、社会崩壊を防いだり、次の流れを創出する人たちが必ず一定量存在し、そのような人たちのおかげで物質社会と精神社会の共存が何年も前から今まで繰り返されていると感じました。

私もそのような社会を維持する一員になりたいと思っています。

希望的観測が過ぎるところがあるかもしれませんね。

では、また。

2005年8月16日 06:28
kou :

また来ましたぁ~♪

tasa さん、bitte さんの考えがよーく理解できます。ちょっと話がずれてしまいますが、この投稿を通して、

Malgorzata Foremniak 主演の Avalon を思い出しました。

このゲームの高度な技術が前提だろうが、現実と仮想で、仮想の方が主人公にとって重みを増している。ある種、IT技術の枠の中で、彼女の生活・行動パターンが決まっている。

とっても面白い映画ですよ。もう観ましたか?

2005年8月16日 09:57
tasa Author Profile Page:

最近、急に忙しくなったのでコメントが遅れてしまいました。すみません。

>bitteさん
お久しぶりです。また来て頂けて光栄です。おっしゃる通り、常識の変化や枠組みの変化に対応できない人間は淘汰されて、順応出来た人間によって、緩やかに社会は変化して行くのかもしれませんね。

>kouさん
Avalonも押井守監督作品ですよね。ビデオに録ってあるんですが、見よう見ようと思いながら、まだ見ていません。楽しみです。


ITの発展のせいでリアルとヴァーチャルという意識が強くなりましたが、そもそも人間が社会の中で認識している事象というのは、頭の中で再構築された概念的なもので、そうそう昔から変わってないのかもしれませんね。

2005年9月 8日 01:18
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