2009年6月14日 日曜日
どうやら歴史ある信号機で、永久保存されているようです。
[銘版より引用]
浜離宮前踏切 説明
所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京と中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去される事になりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
浜離宮前踏切 説明
所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京と中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去される事になりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
[銘版より引用]
保存理由
元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
銀座御門通り会
銀座金春通り会
保存理由
元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
銀座御門通り会
銀座金春通り会
懐古趣味的ではありますが、発展を遂げた地域がその役目を終え、全く別の形に生まれ変わってしまったのですから、以前の記憶を形に残しておきたいという気持ちは理解できます。
それにしても、この辺は汐留川だったのですね。汐留パーキング(高速高架下の地下駐車場)の壁の至る所に歪み調査のマーキングがある意味がこれで分かりました...。埋め立てをしても、もともと川だったところには水が集まるので、急には地質改善されませんものね。
- 関連リンク -
・汐留駅 (Wikipedia)
・汐留川 (Wikipedia)
・汐留パーキング
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